ときたま蟹工船生活

ときたま蟹工船生活をしているTV業界出身のWeb Directorです。トータルワークアウトでのトレーニング、ランニング、ヨガ、ぼちぼちダイエット、仕事のことなど、四十路な日々のつれづれを綴っております。福島県福島市育ちで、すあまが大好物です。直近の目標は、初のフルマラソンをサブ5で完走!

東京タワーを眺めながら

病院で考えていたこと第2弾。トータルワークアウト、ダイエットネタではありません。


今回私は、神経内科→整形外科での入院だったため、
ずっと内科病棟にいました。

20年以上入院なんかしたことなかったので、とにかくいろいろ新鮮でした。
看護士さんの数が多くて親切だったり、花束の差し入れがNGだったり。
今回の入院は、私は最初の3日間に検査をした以外は
手術も、点滴などの投薬治療もなかったので、
毎日9:00-10:00のリハビリが終わると、
東京タワーが見える共用ラウンジにいることが多かったです。

いろんな想いで、東京タワーをを眺めていたなあ。

入院して私が一番ショックを受けたのは、
死を感じる瞬間が、かなり身近にそして何度もあったこと。
普段の会社では20代の若い子達に囲まれているし、
通っていたトータルワークアウトでも皆運動しているだけあって
生のパワーに満ち溢れている環境に身を置いていますが、
この1ヶ月は、全くそれとは逆の環境でした。

抗がん剤治療の薬の副作用に苦しんでいたり、
がんによって壊死した皮膚の処置を1日に何回もしていたり、
英語の勉強をしようと、共用ラウンジにいると
「転移しちゃったよ…」と落胆しながら電話しているおじさまがいたり、
「緩和ケア」の電話申し込みをしている、私より年下の女性がいたり、
夜中ずっとうめいている方がいたり、
グレーシートがかかったストレッチャーを目撃したり…と
なんというか、普段ほとんど出会わないような光景を毎日目撃するのです。
もちろん、現時点では、話せるし、歩けるし、
パッと見る限りそこまでひどい病状ではなさそうな方が大半でしたが、
話のふしぶしに、余命などのキーワードが出てくるんですね。

そんなことに毎日接することが、本当に切なくてしんどかったです。
望んで、ここ(病院)に来ている人はいないはず。
皆、ふとしたことで生が満ちた世界から、
ここに紛れ込んでしまって、病院の窓から東京タワーを眺めている。
死って、実はとても身近なところにあるのだな…と、酷く落ちこみました。

私自身も入院当初は、10万人に数人しか発病しない難病の可能性を示唆され
「長期療養を見越して、実家に戻る選択肢も考えてみて」
と主治医の先生に言われて絶望し、
ネットでその病気の闘病ブログを読み漁れば漁るほど
手術は困難を極め、たとえ手術が成功しても
歩行困難などの後遺症が残る可能性が高い、などのお先真っ暗な記述を見て
かなりショックを受けていました。
また、セカンドオピニオンで行った病院の診察室では、
別の脊髄の難病(これもかなり珍しい病気)にかかってしまった患者さんが
泣きながら「辛くてしょうがないんです」と、先生に話しているのを聞いてしまい、
私も母も、診察前に何故か落ち込みました。

なんで自分が?

皆、病気の人が思うことです。
他の人は皆健康なのに。
普通の生活ができる幸せ、ありがたみなんて
今までは、当たり前すぎて全く気づかなかった。
お見舞いに来てくれた友人や、会社の皆が、
生のエネルギーに満ち溢れていて、
入院当初は眩しくて眩しくて仕方がありませんでした。

幸いにも私は、病名不明のまま、リハビリで謎の回復を遂げ、
手術や歩行困難にはならなく、元気になったわけですが、
このまま歩けなくなったり、手に痺れが出てきたり、
排尿・排便障害になっても全くおかしくない状態でした。
また今も、生検して病名を断定していない関係で、
完治したのか、単に寛解状態なのかは不明なので
今後そうならない保証もありません。

ただ幸いにも、今はなんとか生の気が満ちた世界に戻ってこれたので、
この恵まれた状態を、1日1日を、大切に生きたいです。
食生活にいくら気をつけていても、運動をいくらしていても
生気にあふれた世界と、死に近い世界の境界線は毎日コロコロ変わるし
明日自分が、どちらの世界にいるかはわからないですが、
少なくとも自ら死の危険因子を増やすことはしたくない。
あと、冗談でも
「死にたい」「死ぬほど…」「死ぬかと思った」
などのことばは、使わないようにします。
「死」は決して安易に使う言葉ではない。

入院中、よく読み返していた大好きなコラム。
『安堂ロイド A.I. knows LOVE?』とは何だったのか?【前編】

自分になろう。何度でも自分になろう。自分自身に生まれ変わろう。自分自身に生まれ直そう。
いずれにせよ。
木村拓哉東京タワーである。決して倒れない希望の旗である。

Map of Smap」vol.21より抜粋

他の仕事はチームの他のメンバーに託しましたが、
この仕事だけは、入院していても病室から更新し続けていました。
書き手の相田さん、私のお見舞いに来て下さった帰り、
東京タワーに私の回復を願掛けしてくださったそうで
本当に相田さんにも、東京タワー(相田さんと私は勝手に“ロイド”と呼んでいます^^)にも
感謝です。